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A道後温泉地区


石手寺 道後温泉本館 子規記念博物館 伊佐爾波神社 湯築城址/道後公園
松山市石手二丁目 松山市道後湯之町 松山市道後公園 松山市櫻谷町 松山市道後公園


宝厳寺 鷺谷墓地 常信寺 松山神社 愛媛県護国神社
松山市道後湯月町 松山市祝谷東町 松山市祝谷東町 松山市祝谷東町 松山市御幸一丁目


熟田津の道 道後温泉駅 放生園
松山市道後湯之町 松山市道後町 松山市道後湯之町



A−1

開創1200年・四国霊場の名刹「石手寺」を巡る


1・コースのご案内





2・施設のご案内

場  所

説  明

備考

出発 道後観光案内書
(所要時間)約120分

WC

@
種田山頭火の句碑 行乞流転の俳人・種田山頭火の「分け入って も分け入っても 青い山」の句碑

A
夏目漱石の句碑 夏目漱石が、明治2810月、子規の送別会で詠んだ「御立ちやる可 御立ちやれ新酒 菊の花」の句碑
B 正岡子規の句碑 正岡子規が、明治289月、柳原極堂と二人して石手寺吟行をした時に詠んだ「砂土手や 西日をうけて そばの花」の句碑

C

石手寺

国宝・国重文=仁王門(国宝)、本堂(重文)、三重塔(重文)、鐘楼(重文)、護摩堂(重文)、鬼子母神(重文)、その他=マントラ洞窟

D

伊佐爾波神社

松平三代藩主定長が建立した日本三大八幡造りの一つ。道後八町の守り神。算額23面公開

WC

E

宝厳寺

時宗の開祖・一遍上人誕生の地。子規の「色里や十歩はなれて秋の風」の句碑。

F

道後温泉本館

本館改築120年、小説「坊っちゃん」、「千と千尋の神隠し」の油屋モデル?子規と漱石が道後散策のとき入浴。

WC

G

放生園

坊っちゃんカラクリ時計、道後温泉鷺石伝説、俳句同人誌ホトトギス創刊の柳原碌堂句碑、など

WC

最終

道後観光案内所


(放生園横)

WC



A−2

四国霊場五十一番札所
石手寺の七不思議(九不思議)


石手寺の不思議は、個ある。どうして個で不思議なのか?
「七」という数字には、「神秘」とか「たくさんある」という意味があると云われている。
なお、「清水の舞台」で知られる「清水寺」の七不思議は、九9個とも十三個とも云われている。
したがって個の7不思議でも、決して不道理なものではない。



場  所

説  明

備考

@

渡らずの橋 「渡らずの橋」と呼ばれる太鼓橋がある。この橋は、弘法大師が架けたと伝えられ、石手寺の九不思議の一つで、歩くと足が腐るといわれている。 参道入口
A 不動石 不動石は、「お不動さんが見える」と伝えられている。時間・天候・太陽の位置など考慮して見るのだそうである?
参道の入り口の右側
B

仁王門の大草鞋

仁王門には、大草鞋が掛けられている。これと同じように、全国の寺院には大きな草鞋が奉納されており、これは、他所からやって来る悪霊や疫病神を追い払うため、“ここには、こんな大きな草鞋を履く仁王様がいるんだぞ”と威嚇するためのものであると伝えられている。 仁王門
C

香煙

香煙とは、お茶堂の前にある「香盤」から立ち上るお線香の煙のことである。この「香煙」を体の悪い所にあてると、よくなるという有難い煙である。参拝者は、それぞれの「悪い所」に、それを当てる。香煙は、ほとんどの場合東から西方向へ流れている。まれにだが、逆方向もあるが、ほんとにまれにである。

お茶堂の前
D

水天堂の水

水天堂内部の水瓶瓶の水を見ると瀬戸内海の干潮がわかると伝えられている。 水天堂
E

詞梨帝母天堂の石

訶梨帝母天堂(かりていもてんどう)は、鎌倉時代の後期、河野一族が勧請した十六王子社の遺講とも考えられる。鬼子母神(きしもじん)とも云い、産婦がここの石を持ち帰って安産を祈り、無事出産すれば借りた石と別の石を持参して感謝する風習がある。この社前には、安産を祈願する人々が丸い小石を供えるなどの信仰が寄せられている。 訶梨帝母天堂
F

衛門三郎玉の石

昔、荏原という所に衛門三郎という強欲な大百姓が住んでいた。ある日、衛門三郎の家の前に一人の旅のお坊さんがやって来て、托鉢の鈴を鳴らしました。衛門三郎が追い返そうとしたが、動きません。腹を立ててお坊さんの鉄鉢を叩き落すと八つに割れて飛び散ってしまった。
そんなことがあった翌日から、衛門三郎の八人の子供が次々と死んでしまった。さすがの衛門三郎も声を上げて泣いた。ある夜、衛門三郎の夢枕にある旅のお坊さんが現れ、「前非を悔いて情け深い人になれ」と告げた。夢から覚めた衛門三郎は自分が強欲であったことを悔い、あの時の旅僧は弘法大師だったのだと気が付いた。
衛門三郎は弘法大師に許してもらおうと、四国を巡っている大師を探して四国の道を東から回ったり、西から回ったりして歩きますが、なかなか出会うことができず、四国を二十数回まわったところで、阿波の十二番札所焼山寺で倒れてしまった。その時衛門三郎の前に弘法大師が現れ、「お前の罪は許された。最後に何か望みはないか」と声をかけた。衛門三郎は「河野一族の世継ぎとして生まれ変わらせてください。今度こそ人々のために尽くしたいのです」と言った。大師は『衛門三郎再来』と書いた小さな石を息を引き取る衛門三郎の手に握らせた。
それから数年後、伊予の城主河野家に玉のような男の子が生まれた。ところがその子は大きくなっても左手を開きません。祈祷師に頼み、「きれいな川の水で洗えば開く」とのお告げのとおりにすると、手が開いて中から石が出てきた。それは大師が衛門三郎に握らせた石であった。その後、手を洗った川を石手川、石を納めた河野家縁の寺が石手寺と呼ばれるようになった。
宝物館または講堂
G 湧ヶ淵の大蛇の骨

その昔、奥道後の「湧ヶ淵」には雌雄の大蛇が住みついて近隣の住民を悩ませていたので、そこで石手寺の僧侶が淵へ赴き退治した。その時に使った石剣と退治した大蛇の蛇骨は今でも石手寺の宝物館に保管されていると云われている。

宝物館
H 湯音石 東側に四角い穴、南側に丸い穴が開いており、丸いほうに耳をあてると「ゴーッ」という音が聞こえる。それが「道後温泉の源流の音」であると云われている。 仕合わせの鐘の前


A−3

紅葉と桜・道後界隈を歩く


1・コースのご案内





2・施設のご案内

場  所

説  明

備考

出発 道後観光案内書
(所要時間)約150分

WC

@
放生園 坊っちゃんカラクリ時計、足湯、道後温泉の開湯伝説に出てくる鷺石、俳句同人誌・ホトトギスを創刊した柳原碌堂句碑などがある。 WC

A
道後公園 14世紀の初め、河野通盛が築いた中世の城・湯築城址がある。春は桜見物、秋には観月会も催され、沢山の市民で賑わう憩いの公園である。 WC

B
伊佐爾波神社 松平三代藩主・定長が建立した日本三大八幡造りの神殿一つ。道後八町の守り神。算額23面公開 WC


C

宝厳寺

時宗の開祖・一遍上人誕生の地で、時宗の三大聖地の一つ。子規の「色里や十歩はなれて秋の風」の句碑。

D

道後温泉本館

本館改築120年。子規と漱石が道後散策のとき入浴。小説「坊っちゃん」に登場。「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルの一つと云われている。

WC

E

鷺谷墓地

松平三代藩主・定直が建てた大禅寺の墓地であった。現在は、松山市の共同墓地となっており、伊佐庭如矢、秋山好古、白川義則、桜井忠温などの墓がある。

F

常信寺

松平初代藩主・定行と弟・定政の霊廟がある。松山の明治の偉人・小林信近、藤野漸、加藤彰廉、勝田主計などの墓がある。春の桜、秋の紅葉の名所でもある。

WC

G

松山神社

東照大権現/徳川家康と天神様/菅原道真を合祀している珍しい神社。江戸末期に建てられた白木の権現造りの社殿は、一見の価値がある。

WC

H 護国神社
愛媛万葉苑
護国神社:戊辰戦争から太平洋戦争までの戦争・戦役で亡くなった人、公職に従事し殉職した人、伊予国〜愛媛県の政治、産業、文化などの発展に貢献した人などを合祀した愛媛県護国神社
愛媛万葉苑:護国神社に祀られている霊を慰めるために造られた郷土植物園を、昭和43年に、万葉集に詠まれた植物を集めて、愛媛万葉苑として開園した。
WC
I 熟田津の道 万葉の歌人・額田王の「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」の和歌にある「熟田津」にちなんで造られた道。

最終

道後観光案内所


(放生園横)

WC