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@松山中心地区


JR松山駅 愛媛県庁 松山市役所 伊予鉄松山市駅
  松山市南江戸一丁目00 松山市一番町一丁目 松山市二番町一丁目 松山市湊町五丁目

秋山兄弟生誕地 坂の上の雲ミュージアム 萬翠荘
松山市歩行町二丁目 松山市一番町三丁目 松山市一番町三丁目)

二之丸史跡庭園 松山城本丸 松山城北郭
(現存しない)
松山市丸之内 松山市丸之内 松山市平和通四丁目



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湊町・大街道の歴史をめぐる「まち歩き」

1・コースのご案内

松山市駅前の「坊っちゃん広場」に集合し、松山市駅周辺の史跡を巡った後、
マツチカを通って湊町通りに出て、松山市庁発祥の地「円光寺」に立ち寄った後、
湊町三丁目まで東進し、左折して大街道のアーケードに入り、
その後は、二丁目辺りから西側の裏道に入り、
愚陀仏庵跡を経由して再び大街道に戻り、安倍能成の住居跡を確認して、
一番町通りとの交差点の左側にあった芝居小屋・新栄座の所まで
約一、五キロ・九0分のコースです。





2・港町/大街道の今昔

▼長町から湊町・銀天街へ
 現在の湊町は、江戸時代には、東西に長い町ということで、長町(永町)と呼ばれていたが、江戸末期になり
中の川と宮前川を結び、三津港まで小舟により物資を運んだことから港町と呼ばれ、市制施行の時に湊町に変
わった。
 明治二一年に松山市駅を起点として伊予鉄道線が開通したことで、以降、松山の経済圏は外側に移ったが、
昭和二〇年七月の松山空襲で、湊町商店街は全滅した。戦後の昭和二八年に、全国に先駆けてアーケードが設
置され、天井が銀色に光っていたことから銀天街と命名された。その後、昭和四一〜四二年に、全蓋式の近代
的な現在のアーケードが完成した。
▼唐人町から大街道へ
  大街道という名称は通称であり、正式には小唐人町である。昭和五年の町名改正のときに「大街道」が正式
の町名になった。
 明治の頃の大街道には、道路の東側を一間半ほどの大法院川が流れていたが、大正八年に下水道工事によっ
て埋め立てられ、街路が拡張されてから商店化が進んだ。しかし昭和二〇年空襲によって焦土と化したが、
二一年には三越松山店が開設、昭和四八年に片側アーケードの設置、昭和五七年に歩行者専用道路への移行
に伴い全蓋アーケード化され、今日に至っている。
松山中央商店街の今昔
 大街道・銀天街は偉人の宝庫である。関西の海運王・元神戸市長の勝田銀次郎(街一)、日露戦争の戦記小説
『肉弾』の著者・桜井忠温(街一)、戦後、文部大臣・学習院院長、漱石四天王の一人の安倍能成(街二)、元・
明教館教授で、秋山真之や桜井忠温が通った謙塾(街二)の先生・近藤元修と、その長男で漱石と親交の深かっ
た近藤我観などがいる。
  湊町には呉服店が多かった。文政二年創業の「塩屋」(湊三)は今も健在である。大店「米周」(湊三)は貸
ビルとして健在。小説『坂の上の雲』に「城下きっての呉服屋」として登場する「米藤」(湊三)は今はない。
 松山銘菓のタルトを最初に販売した「相原菓子店」(湊四) は今はないが、「薄墨羊羹」(街一)・一六タル 
(街二)の創業の店や、労研万頭(街二)(昭五創業)は今も健在である。
 大街道・湊町界隈は、娯楽の殿堂であった。子規が好きだった講談の「遠山寄席」(街一)、子規と漱石が二
人で見物した本格的芝居小屋「新栄座」(街二)、新島譲が布教のために訪れた「寿座」(三番町通り)、県下最
初の常設活動写真館「世界館」(街二)(後に、県下初の常設映画館「有楽座」になる)などがひしめいていた。 
 この他、湊町三丁目と千舟町通りの間の通称「正安寺町」と呼ばれた細い町筋は、大正末期〜戦前まで赤い
灯・青い灯の燈るカフエ街であった。また、湊町三丁目と大街道一丁目が交差する辺りは、昭和初期まで「魚
の棚」と呼ばれ、魚屋などが軒を並べ、地域住民や土佐街道を行き来する人々の市場として賑わっていた。





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松山城/二之丸史跡庭園と「恋人の聖地」を訪ねて


1・コースのご案内




2・施設のご案内

場  所

説  明

備考

出発

「坂の上の雲」ミュージアム

(集合) 所要時間:約120分

WC

@

毘沙門坂

正岡子規の句碑「牛行くや 毘沙門阪の 秋の暮」

松山城ロープウエイ駅舎

WC

A

長者ヶ平

正岡子規の句碑「松山や 秋より高き 天主閣」、俳句ポスト第1号

WC

B

大手門跡

松山城が最もきれいに見える。撮影ポイント

筒井門・隠れ門

非常に珍しい二つの門構え、最大のトリック

C

天守閣

子規の句「春や昔 五万石の 城下哉」のシンボル、現存12天守の一つ、鎧兜試着コーナ

WC

D

二之丸史跡庭園&恋人の聖地

平成25年に恋人の聖地に指定、松平三代藩主定長まで藩邸として使用

WC

E

黒門跡

二之丸、本丸への正門

F

愛媛県庁

昭和4年に建てられ現役で3番目に古く、映画のロケ地にもなり、往時の面影を残す。

最終

「坂の上の雲」ミュージアム

(解散)

WC