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淡路ヶ峠の紹介
淡路ヶ峠の紹介高ヒット
投稿者jr5eekjr5eek さんの画像をもっと!   前回更新2015/11/2 8:18    
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淡路ヶ峠は松山市桑原地区の東に、地区のシンボルとして小高い山、淡路ヶ峠がある。桑原小学校の校歌にも「淡路ヶ峠に朝日が映え、石手の川に夕日浮く」・・と歌うれている。高さは、松山城の約2倍、273mで平成9年の春、山の頂に展望台が設置され素晴らしい景観を眺める事が出来る。平成10年2月淡路ヶ峠遊歩道整備協議会が結成され、遊歩道3コースが整備された。
コース1、ゆったりマドンナコース700m(駐車場) コース2、ガンバル赤シャツコース880m(砂防ダム) コース3、青い空坊っちゃんコース1000m(桑原中学)、コース4、繁多寺コースがある。所要時間は、30分から40分である。
コースは、地元の淡路ヶ峠遊歩道整備協議会の一人が奉仕活動で毎日整備されており遊歩道が綺麗に保たれている。
淡路ヶ峠は、400年前の天正年間(1573?1597)湯築城、河野通直の砦があり、道直の家臣、林淡路守道起が守っていた所で、地元民たちは淡路ヶ峠と呼ぶようになった。天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐の命を受けて小早川隆景は湯築城を攻め落とし、河野通直他家臣たちは伊予を追われた。林淡路守道起は、長州熊毛郡に移り、伊藤家に入った。その11代目の嗣子が明治の元勲、初代総理大臣伊藤博文である。博文公が朝鮮総督府統監の時代に伊予道後に来られ、来年再び来て祖先の供養をしたいと言われ明治43年(1910)10月、ハルピン駅で暗殺され、その計画は果たせなかった。
淡路ヶ峠の「峠」は、普通「とうげ」と読むが「げ」を省略して「とう」と言う。東雲大学の北西の小高い所は昔から原の峠と書き「はらのとう」と言っておりその事と相まって「あわじがとう、と呼び記載は・淡路が峠・淡路ヶ峠」と表記されている。
この峠からは松山の市街地が一望でき瀬戸内海もよく見えます。松山一の絶景が楽しむ事が出来ます。是非一度登ってみて下さい。良く晴れた午前中に登ると順光で綺麗に見えます。

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