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土亀山に正岡子規の句碑建立
土亀山に正岡子規の句碑建立高ヒット
投稿者jr5eekjr5eek さんの画像をもっと!   前回更新2018/4/18 20:48    
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俳句の街、文学の街、坂の上の雲の街松山に子規の句碑が新しく建立された。
場所は、松山市福音寺町753番地12にある土亀山(伊予三山の一つ)で、句は、正岡子規が詠んだ「凩に這いつくばるや土亀山」・「しくるるや 右は亀山 星が岡」の二つの句が揮毫され、4月13日(大安)に松山市、松山子規会、福音寺町川付地区の自治会、町内会、福音寺町土地改良区の代表と地元住民が参列し、日尾八幡神社三輪田宮司の神事の下厳かに除幕式が行われた。
句碑建立は、正岡子規生誕150周年記念と松山市美しい街並み賑わい創出事業の一環として福音寺町川付自治会が建立した。

1、句   碑:正岡子規生誕150周年記念
2、碑   文:凩に はひつくばるや 土亀山   明治25年
         しくるるや 右は亀山 星が岡  明治28年
3、建 立 者:松山市福音寺町川付自治会
4、所 在 地:松山市福音寺町753番地12「土亀山」標高50m
5、建立年月日:平成30年3月吉日
6、碑の大きさは:高さ1m16cm 横幅1m20cm  厚さ27cm
7、石   材:花崗岩
この句碑は、明治25年、冬の終わりに正岡子規が詠んだ「凩に はひつくばるや 土亀山」句だが、この時子規は東京大学の学生で松山には居なかった。上京する前にこの地区を吟行した時を思い出して詠んだのではなかろうか?
「しくるるや 右は亀山 星が岡」この句は、明治28年に詠んだものである。
子規は明治25年10月東京大学を中退し、同年12月、新聞「日本」の記者となり、明治28年4月近衛師団所属の従軍記者として清国に渡り、帰国の船中で喀血した。須磨療養所で保養してその後松山に帰り、夏目漱石の下宿先である、愚陀仏庵で52間居候する。同年10月東京に帰るその途中古都奈良に立ち寄り詠んだ句が有名な「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」である。
「しくるるや 右は亀山 星が岡」この句は、明治28年に詠んだ句であるので、漱石と一緒に土亀山に来たのではないでしょうか?・・
また、土亀山には、陸軍の三太郎と言われた、仙波太郎中将の墓所がある。
註:陸軍の三太郎、「宇都宮太郎(陸軍大将・軍事参議官)桂太郎(陸軍大将・内閣総理大臣)仙波太郎(陸軍中将・衆議院議員)」

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