トップ  >  「エリア」で探す  >  「坂の上の雲ミュージアム」エリア  >  6.「坂の上の雲ミュージアム周辺」愛媛県庁と城山公園(二之丸・三之丸跡)めぐり

 「坂の上の雲ミュージアム」の周辺を歩いて見ませんか。

  松山観光ボランティアガイドがご案内いたします。

ご案内日時:土曜日・日曜日・祝日(出発時刻 10時30分、14時)

 愛媛県庁三之丸・東出入口付近馬頭観音像三之丸南出入口付近歩兵第22連隊跡碑‐                                                                                           初代県庁跡黒門跡・栂門跡・槻門跡二之丸史跡庭園俯瞰二之丸多聞櫓前広場

 1.ご案内するコース

 2.ご案内する場所 

  愛媛県庁(休日には、庁舎内の各部屋の中の見学はできません) 

 現在の愛媛県庁庁舎(写真)は、4代目の庁舎で、昭和4年に建てられた。建設費は、当時のお金で102万円。

愛媛県庁舎の設計者は、萬翠荘を設計した木子七郎。純フランス建築で、古代ギリシャ建築の様式が随所に見られる。

  三之丸・東出入口付近 

  江戸時代の東御門は、二層の大きな櫓門で、両側にある大きな石垣は、建造物の櫓門とともに城を守る代表的な施設であった。櫓門は、明治6年の明治政府の廃城令により、取り壊されてしまい、現在、その石垣が一部が残っているのみである。

 馬頭観音像

この馬頭観音像は、堀之内に松山歩兵第22連隊があったとき、戦地で亡くなった軍馬の霊を慰めるために建てられたものと思われる。裏面に、昭和7年と刻まれている。近くには連隊の厩舎、蹄鉄工場があった。

 

馬頭観音像前の通路を挟んだ西側は、江戸時代には武家屋敷あり、その一画に、正岡子規の俳句の門人である内藤鳴雪が、松山藩主の小姓時代に住んでいた屋敷があった。

 

 三之丸・南出入口付近

三の丸は、江戸時代には、出入口は東と北のみであったが、明治になって、堀之内に兵舎が置かれることになり、明治6年に、南と西にも出入口ができた。その後、明治19年に、松山歩兵第22連隊が駐屯し、その正門が南口に設置された。現在は、ここには当時のものは何も残っていないが、愛媛県護国神社の境内に、連隊正門にあった歩哨舎と門柱が保存されている。

 歩兵第22連隊跡碑

 松山歩兵第22連隊は、明治19年に、堀之内に創設せれた連隊で、日清・日露戦争をはじめ幾多の戦役・事変に参戦し、勇猛を轟かせた。しかし、昭和20年の太平洋戦争の沖縄戦を最後として、連隊は終焉を遂げた。堀之内のほぼ中央辺りに、「松山歩兵第二十二連隊跡」碑、及び、二十二連隊の連隊旗手として、旅順港攻撃に参戦し、後に、そのとき様子を書いた戦記小説「肉弾」の著者・桜井忠温の碑が建っている。

 初代愛媛県庁跡

明治6年に愛媛県が誕生し、初代の県庁舎が、三之丸跡に建てられた。当時、秋山兄弟の父・平五郎久敬は県庁に勤めており、NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の中で、久敬と好古が、大阪の師範学校のことでやりあったシーンは、この場所で展開されたことになる。

 「初代県庁舎」(愛媛県庁のパンフレットよりコピー)

  黒門跡・栂門跡・槻門跡

松山城の正門である黒門と、それに続く栂門・槻門は、いずれも二之丸防衛のための重要な門であったが、明治6年の廃城令により建物は取り壊され、残っているのは石垣のみである。槻門の北側には、松山城で最も高い20.5mの石垣があり、その上に西大砲台跡がる。画像は上松氏資料よりコピー)

 

  二之丸史跡庭園(俯瞰)

二之丸御殿は、松山藩松平家・四代定直まで、藩主の住居があった。その後、三之丸御殿ができ、そちらに移され、以後は嫡男(世継)の住居となった。

明治になって、二之丸には、22連隊の衛戍病院(陸軍病院)があった。日露戦争のとき延べ6千人のロシア人捕虜が松山に送られてきて、傷病兵の一部がこの病院に収容されていた。先般、二之丸跡の井戸から、ロシア軍人と日本人看護婦の名前が刻まれた「ロシアの10ルーブル金貨」が発掘され、それを題材にしたミュージカル「誓いのコイン」が上演され話題になった。

 二之丸・多聞櫓前広場

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」・第3部の撮影がここで行われた。秋山好古が晩年、校長を務めていた北予中学校は、現在の県立松山北高等学校で、同校の学生30名がエキストラとして撮影に参加した。ロケは、阿部寛さんが演じる秋山好古が、馬に乗って登校するシーンが撮影された。

「多聞櫓」は、城を囲む塀の上に小屋を載せたような建物で、もともとは、「矢倉」と書き、武器倉であったが、後に城の防御や攻撃の拠点としての機能を持つようになった。この櫓は、石垣の上に沿って長く続く櫓で、松永久秀(弾正)が、大和国に築いた多聞山城で、このような櫓を始めて造ったことから、多聞櫓と呼ばれるようになった。

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