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石手寺コース

①義安寺 → ②石手寺


①義安寺

1585年河野家断絶のとき、一族の者・譜代老臣たちも加わってここ義安寺に集まり、二君に仕えないことを神水を呑み誓約として自刃したとある。この時に、別れの盃をかわした「誓いの泉」が残っている。

②石手寺

四国霊場第51番札所。聖武天皇の勅願で奈良時代に建てられた。翌年、行基菩薩が薬師如来を刻み開眼し本尊とした。その後、弘法大師が真言宗に定めた。

  

★本堂

国の重要文化財。本尊は薬師如来。

 

★仁王門(楼門)

国宝。 特に、蛙股の手法は鎌倉時代の傑作といわれている。

1318年作 金剛力士像は運慶派の作といわれ、その秀美なること、鎌倉時代の傑作といわれている。

   

★三重塔(重要文化財)

★鐘楼

国の重要文化財。鎌倉時代。全国でもめずらしい建造物。

 

★衛門三郎伝説(石手寺の由来)

伊予の国河野氏の一族に"衛門三郎"という男がいた。三郎の屋敷の門前にひとりの貧しい旅の僧が立っていた。三郎は、竿を振り上げ僧の鉄鉢を叩き割り追い払った。翌日から、8人の子供が次々と亡くなり死に絶えてしまった。弘法大師という高僧が伊予の国を布教していると聞き、自分の非道を反省し、大師を追って遍路の旅にでた。何度巡礼をしても大師に合うことはできず、阿波の国焼山寺で倒れてしまった。その時大師が現れ、三郎はこれまでの罪をわびることができた。来世は、国司の家に生まれたいと言い残して息を引き取った。大師は、道端の小石を拾うと、衛門三郎再来としるし、左手ににぎらせてやった。翌年、河野家領主の子息が生まれたが、左手をにぎったまま開こうとしなかった。安養寺(のちの石手寺)の住職が祈祷すると、その子は手を開き、小石が転がり落ちた。衛門三郎再来と書かれたもので、15歳で家督を継ぐことになり、国のために尽くしたという話が語り継がれている。

 ★西安大師

石手寺裏の東山山頂に巨大な弘法大師が見える。弘法大師没後1150年を記念して、昭和59年に建立。高さ16M   顔の長さは2.4M。姿は、遣唐使として西安に行った31歳の頃のもの。体は西安を、顔は天竺を向いている。

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