トップ  >  「エリア」で探す  >  「坂の上の雲ミュージアム」エリア  >  5. 「坂の上の雲ミュージアム周辺」 萬翠荘と子規・漱石ゆかりの地めぐり

 

「坂の上の雲ミュージアム」の周辺を歩いて見ませんか。

松山観光ボランティアガイドがご案内いたします。

愛松亭跡碑萬翠荘城山公園松山中学校跡松風会発祥の地城戸屋旅館跡愚陀仏庵跡

 1.ご案内するコース

 2.ご案内する場所

 
 夏目漱石が明治28年4月に、松山中学校の英語教師として赴任して来たとき最初に城戸屋旅館に逗留後、城山下の「愛松亭」に移り、ここにしばらく下宿し、その後、二番町の上野義方邸の離れ(「愚陀仏庵」)に移った。
 
 漱石が下宿した「愛松亭跡」碑
 

 萬翠荘

 「萬翠荘」は、大正11年に旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨伯爵によって、久松家の別邸として建てられたフランス風の建物で、当時は、皇族方が来県されたときの迎賓館として使用されていた。

久松家の別邸・萬翠荘

 城山公園(東門跡付近)

 松山城における藩主の居宅は、二の丸と三の丸にあった。現在、城山公園の三の丸・東門付近から、復元された二之丸史跡庭園の城郭部分、及び、公園として整備中の三の丸跡が一望できる。

 

 二之丸史跡庭園遠望

 松山中学校跡

 現在のNTT愛媛支店ビルの前に、正岡子規や秋山真之が学び、夏目漱石が英語教師として教鞭を執った「松山中学校跡」の碑が建っている。またここには、子規・真之が通った「勝山小学校」、秋山好古が学んだ「明教館」もあった。

松山中学校跡碑

 松風会発祥の地

 現在、松山市立番町小学校がある場所に、明治の学生改革により松山市立高等小学校が設立された。その後、明治27年に、同校の校長・中村愛松、教員・野間叟柳らによって、地方で初の日本派(子規派)俳句結社「松風会」が発足した。

番町小学校の正門傍にある「松風会」の碑

 城戸屋旅館跡

 城戸屋旅館は、明治28年に、夏目漱石が松山中学校に赴任して来たときに、最初に泊まった旅館である。その後、漱石は、城山下の愛松亭、そして二番町の愚陀仏庵へと移った。また、秋山真之も、明治28年に、愚陀仏庵に逗留中の子規を見舞いに来たときに、この旅館に宿泊している。

 現在の城戸屋旅館跡

 愚陀仏庵跡

 夏目漱石と正岡子規が、明治28年に50日余り同居生活を送った上野義方邸の離れ「愚陀仏庵」は、当時、松山市の中心街・二番町にあった。ここへ松風会のメンバーが日夜押しかけ句会が開かれ、漱石もその中に加わった。その愚陀仏庵は、昭和20年の松山大空襲により焼失してしまった。戦後、昭和57年に、萬翠荘の北側に復元されたが、平成22年7月12日未明、大雨による土砂崩れにより倒壊してしまった。

 

 愚陀仏庵跡の碑


 

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