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3.「ロシア兵墓地」と「一草庵」コース(所要時間・約2時間30分)

(開催日) 予約制

(集合場所・時間)愛媛県護国神社前13:15(伊予鉄赤十字病院前 徒歩7分)

 

ルートマップ 

 施設のご案内

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①護国神社                                                                                                       「護国神社」は、明治32年に「私祭招魂社」として創設されたのが始まりであり、その後昭和14年に現在地遷座にされ、「県社・愛媛県護国神社」に指定された。社殿は、昭和20年の戦災で焼失したが、同30年に再建された。ここには、戊辰戦争以降、太平洋戦争に至るまでの愛媛県出身の戦没者、及び、藩政時代の各藩の藩主、産業功労者、文化人なども合祀されている。また、秋山好古揮毫の碑、日露戦争の旅順港攻撃に従軍した歩兵第22連隊ゆかりの碑などもある。

(「護国神社」の本殿)


②愛媛万葉苑                                                                                                   「愛媛万葉苑」は、昭和28年に、護国神社境内に「郷土植物園」として造られたのが始まりであり、その後、昭和42年に、園内に「熟田津歌」の碑が建立されたのを機に、一帯に万葉集の和歌に詠み込まれた植物を栽培し、翌43年に、「愛媛万葉苑」として開苑した。現在ここには、万葉植物130種、郷土植物園時代の植物100種が植えられている。

 (「愛媛万葉苑」の苑内)


③一草庵                                                                          「一草庵」は、漂白の俳人・種田山頭火の晩年の住処で、御幸寺山の麓にある御幸寺境内の納屋を改造した庵で、昭和14年、山頭火57歳のとき、四国遍路の旅の果てに、当地を「終の住処」として「一草庵」と名付けた。山頭火は、好きな道後温まで20分、酒と句作三昧の日々を過ごし、翌、昭和15年10月11日にここで生涯を閉じた。「一草庵」は、山頭火の死後老朽化が進んだため、昭和27年に一度改築されたが、現在ある建物は、平成21年4月に、松山市制施行120年行事として改築され、リニューアルオープンしたものである。

(現在の「一草庵」)


龍泰寺                                                                                     「龍泰寺」は、四代松山藩主・松平定直のとき、松山大学グランドの南西から移転されたもので、現存の山門、及び、入口の小川に架かっている石造りの「めがね橋」は、移転時に造られたものである。また、江戸後期の物外和尚(拳骨和尚ともいう)が、小僧時代に遊んだと伝えられる手水鉢が今も残っている。さらに、秋山真之が少年時代に通った漢学塾の師・近藤元修(南洋)、及びその子で正岡子規や夏目漱石と親交が深かった近藤元晋(我観)の墓がある。

(「龍泰寺」の本堂)


⑤千秋寺                                                                                                             「千秋寺」は、江戸初期に中国の僧・即非によって開山された黄檗宗の名刹である。建物は、四代松山藩主・松平定直によって創建され、七堂伽藍を備えた大寺院であったが、昭和20年の松山大空襲で大雄宝殿も焼失し、その礎石と山門を残すだけである。なお、山門及び「海南宝窟」の額は、ともに重要文化財となっている。境内には、正岡子規の句碑、弘田義弘の歌碑などがある。墓地には、白川福儀、高橋一洵の墓がある。

(「千秋寺」の本堂)


⑥ロシア兵墓地                                                                                    「ロシア兵墓地」には、明治37、38年の日露戦争のとき捕虜になり、松山の送られ、当地で亡くなったワシリー・ボイスマン海軍大佐をはじめ98名のロシア兵の墓がある。

(「ロシア兵墓地」にあるロシア兵の墓)


⑦来迎寺                                                                                                   「来迎寺」には、正岡子規の母方の祖父・大原観山(明治8年没、子規8歳)、及び、松山城の築城、重信川の改修などを行なった足立重信(加藤嘉明の家老)の墓がある。

(「来迎寺」の本堂)


⑧長建寺                                                                                        「長建寺」には、江戸後期の様式で造られた「地泉庭園」があり、春の桜、秋の紅葉の時期は、一段と美しい景色が眺められる。境内には、松尾芭蕉、正岡子規、種田山頭火などの句碑がある。また、秋山真之や正岡子規の和歌の師である井手真棹の墓がある。

(「長建寺」の山門と本堂)


 

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